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ここらでアップデート。 [黄昏に向かって]

最近Twitterを始めました。災害時に強いと思ったからです。また多くのフォローも頂くようになりました。其のつぶやきの中には はっとするような斬新な考え方。今までに考えたこともない発想は魅力的でもあり実践的だと思いました。

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過去は悔いるだけでは意味がない!一刀両断でしたがとても嬉しかった。ミュージシャンの若い方の様子を知ることができたのは大いなる収穫だと思います。何だか今までに経験しなかったような素敵な夢を見れるのでは。心の高鳴りを覚えます。

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20代.30代.40代の私は怖いもの知らず。夢に向かってひたすら進み続けていました。失敗も沢山しましたが、仕事が楽しく、母親になる事、全く忘れていました。今は大勢の孫や曽孫に囲まれている友人・知人にジェラシーしている私もいるけれど、仕方がないと簡単に諦めます。

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さて最近の川越、着物姿が本当に増えて来ましたね。私も口で言うだけではなく来年こそ着物ライフも楽しんで行けたらと思っています。母のタンスの鍵は紛失のまま。さてどんな知恵を使てここから着物を出したらいいのでしょうか? 今夜はひとまずこれで。おやすみなさい。

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ルージュと口紅 [青春の残像]

所謂、私自身を聞かれたら勿論『女性です』と言うに違いないけれど、最近は本当に女性らしい生き方してきたか疑問を持つようになりました。

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私たちの時代は『結婚』は女の目的に近かった気がします。23歳になった時、行き遅れてはと焦った思い出があります。当時はまだ学生だったのですが、四国から来ていたONちゃんが結婚したことを切っ掛けに私は急遽「結婚する」と母に言いました。誰と? 母は本当にキョットンとしていた気がします。

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子供時分から知っていた「YTさん」と空かさず答え、その秋に私たちは彼の母校にある大隈会館で挙式しました。私の家は早稲田で下宿屋さんを営んでいたのですが、お婿さんのYさんは、埼玉県川越に住んでいたのでした。私とは11歳違う大人の男性でした。

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川越の霞が関で新婚生活を始めたものの、何もできない私に連れ合いは吃驚、半年足らずで実家に私は戻りました。その後母の仲裁で、夫も実家に来て母と若夫婦とで暮らす事になりました。子供のできない寂しさに初めて犬を飼いました。アメリカンチャンピオンの血統を持つマルチーズです。彼女はあと2カ月で20年という長い期間を母の愛情に包まれて生きました。

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さてその母と私、事あるごとに母は私を手こずっていた気がします。18歳で祖母が亡くなり、結婚までの間、私は母に反抗し続けました。とにかく家から出たくて色々試みました。留学もその一つと時を伺っていました。その頃、早大理工学部のI先生がアメリカに家族で行くことになり、私にも勧めて下さいました。始終反抗している私への対策を考えてくださったのでした。

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先生は故郷の家族と離れ我が家に下宿されていたのです。早速先生から母に留学の件を話して下さったのですが、母は大反対。かくして私が憧れの国に行けたのはその35年ほど経ってからとなります。

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さて話は戻りますが、昭和43年の頃は東京の彼方こちらで区画整理が行われていました。私たちの新宿区早稲田にも道路を拡幅するための区画整理が始まり我が家は拡幅される大通りに面することに。しかし土地が30%以上を減歩されペンシルビルになるしかありません。母は悩んだ末、移転を決心しました。そこで義理の息子(当時の夫)の家がある川越に転居すると言いだしたのです。

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こうしてきっとご縁があったのでしょうね。母も川越の女(ひと)になりました。しかし同じ川越でも夫と私は北二丁目の家。母は東5丁目にアパート併用住宅を建てました。その頃の母は50代後半、私は20代後半でした。しかし運命とは不思議なもの、いいえ意地悪。移転して間もなく夫は海外に行くことになってしまったのです。東南アジアの某国。勿論社命で夫婦は同伴です。任期はなんと5年。勿論母は大反対。しかし私は夫と出発しました。しかし間もなく母が入院して私は呼び戻されることに。その後私は再び夫の基には戻れませんでした。33歳で離婚。所謂、女の厄年でした。

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私の母は化粧のする必要の無い程の美人でした。その点で私は母に相当コンプレックスを持っていました。こんな話があります。中学生の頃の事、「お母さん、もう中学生の親なのだから口紅つけるのやめて!」きっと睨みながら言った覚えがあります。多分PTAの会などでは着物姿に口紅つけた母は目立った存在でしたから私はそれを気にして母に言ったのだと思います。当時の私は色黒でゴボウのように細い女学生でした。

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そして母に対抗するように、私は20代を待たずに口紅を付けていました。しかしそれは母の様に真赤ではなく、バントピンクという淡い色でした。日本の口紅より艶がある輸入品の口紅。母は国産の口紅です。化粧する母の姿はまるで映画のワンシーンのようでした。そのふっくらした唇に朱赤の口紅を塗り、最後に小指ですぅーとなぞります。そして満足そうに鏡を見る母。綺麗でした。本当に絵のように綺麗でした。
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母は口紅をつけ、子供以上女未満の私はルージュを付けて、やがて私は妻になりました。まさに女の宿命です。そして今年で75歳になった私、どんな巡り合わせでこうなったのか国産で無香料の安価な口紅を愛用しています。それも一番赤い、母の口紅と同じ朱赤の口紅。やっぱり母娘だからなのでしょうね。
 (※今日は写真がなくて昨年12月に撮ったものを使っています)

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舞台への想い。 [夢半ば]

めずらしく朝から外出、川越西口にあるウェスタ川越まで行く為です。来年4月、音楽室の使用料を支払う為です。今日が期限でした。1月~4月まで毎月開催することにした勉強会、いよいよ現実的なものになってきました。チラシの準備も始めなくてはいけません。明日、明後日の休日中に完成させます。

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私は自分で言うのも変ですが本当に可笑しい性格です。何故かと言えば、今のままの静かな生活でも充分なのに、無理に苦労を買ってしまうのです。来年に向かって沢山の計画を次々に具体化しています。その代わり経済的にも肉体的にも心理的にも負担は増えるのですけれど。しかし現状維持がどうしてもできないのです。昔から一つ成就すればすぐにも次の仕事へ取り掛かる。これが生活のパターンだからです。

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こうしていよいよ長年の夢に向かって少しづつ夢を形にしてゆきます。スタートの1/31、来場者数はは全く予測できませんが、それでも開催することが大切だと思います。一回目より二回目、二回目より…、それが大切な事だと思います。2時間という時間は講座への参加ですでに20回以上の経験があるので、時間の使い方は心配ないと思います。

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先日探し物をしていたら出てきたのが2009~2014迄の記録、ステージ出演は大小合わせて62回ありました。その間にはTVの生出演やプロモーションビデオでのTV出演もありました。数カ月に亘るヘビーローテーションが2回あります。その他修行中の2006年から2008年までのカラオケ大会出場回数の150回を加えると200回を超えるステージ経験になります。流石に自分でも吃驚。出来る事ならもう一度だけう、出てみたい…と、時々想う事もあります。
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演歌は暮らしの歌 [歌人生]

明日12月6日は教室から出て川越市にある公民館の一つ、伊勢原公民館への出張です。公民館での講座は全8回の長丁場、明日はその三回目、テーマーは『演歌』について。私と演歌の出会いは多分60年程前になる筈です。10歳ごろの事です。懐かしのその曲は神楽坂はん子さんの芸者ワルツ。先生は母でした。

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当時の母は未だ30代、着物姿の母は子供心にも見とれる程の美しさ。近所でも評判の江戸前の好い女。また戦争の傷跡が彼方こちらに残る時代でした。神楽坂は私の家からも近く、私たち(祖母と母と私)は音羽から早稲田へ引っ越して間もない頃でした。
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母は家にいる時でも着物姿が多く、近所の日本舞踊の師匠さんへ私を連れてよく通いました。私が最初に教わったの端唄の梅にも春。母は当時は流行っていた博多夜船でした。目の使い方がとても印象的でした。
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その私たち、母から社交ダンスも習いました。二人で芸者ワルツを歌いながら母のリードで踊ったのです。小学校で一度この歌を唄って叱られました。優しい先生で父の無い家庭と知っていたのですが、それでも「都ちゃん、そのお歌はお家でね」優し諭してくれました。
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さて話を『演歌』に戻しますが、演歌は暮らしの歌なのです。かつては日々になかにあった日本の暮らし、夫婦の愛、親子の愛、家族愛、そして男と女の出会いや別れ。人生の総てが演歌にはあるのです。それをそれぞれの歌い手が咀嚼して更に客観的に聞く人の心に伝える。それが演歌です。勿論いろいろな解釈はあるとは思います。微力ですが、その想いで明日の講座へ望みたいと思っています。

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ああ、麗しき日々。 [黄昏に向かって]

夕方、思いがけず時間ができたので、川越のお酉様へ行ってきました。お酉様と言えば熊手。威勢のいい手締めが聞こえる師走の風物詩です。祖母とは毎年の様に、30代頃は母と一緒に必ず出掛けました。

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我が家からお酉の市が立つ熊野神社までは一本道。商店街を眺めている内に目的地に着きました。多分20分ぐらいで着いた気がします。午後から雨模様だったせいか思ったより混雑もなく商売繁盛をお願いしました。来年はきっと忙しい年になるのを確信した私、帰路はゆっくり師走の町を楽みながら、ぞろ歩いて戻りました。

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そういえば近所にメロンパンのお店が開店。前を通るといい匂いがします。昨日は何故かアンパンを買った私ですが、今度はやはりメロンパンを食べてみようとおもいました。晩秋の川越、一日一日が大切な日々です。

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只、黙々と我が道を [歌人生]

下手の考え休むに似たり。結局は成るようにしかならない! 何回も何回も唱えて来ました。私は結局臆病なのです。その結果が最後にはたった一人に。憎らしい夫でさえがその枕元には妹と妻(私)がいたのに、私の時はたったひとりなのです(多分)

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数日前まで笑いを堪える程すべてが好い方に動き出したのに。観光協会へ電話してからというもの
またまた雲行きが悪くなってきました。一言で言えば嫌われているらしいのです。意地悪そう(私の主観ですが)な担当者は「会合に来ないですね」と皮肉っぽい言葉で。続けて言う言葉も「営利目的でないかどうか検討してから…」つまり営利なら後援しない!らしいのです。しかししかし後援の文字は彼方此方でよく見かけますが。

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写真は先日頂いた大きな林檎、調べたら『紅の夢』くれないのゆめ だそうです。歯ごたえが良く少し酸っぱいですが、私には懐かしい味の気がしました。ちなみにこの林檎が生まれたのは私のCDが生まれたのと同じころだそうです。


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晩秋の東上線一人旅 [黄昏に向かって]

想い出は遠く、思い出せない想い出もある。昨日に引き続いて晩秋の散策へ。ではなく急ぎの所用で今日は東上線にのり出掛けることに。目的の一つ目は、川越から下り2つ目の霞が関、そこにある的場農協さんまで。ここで用事を済ませ久しぶりに冨士見ハイヤーさんに乗り更に一駅先の鶴ヶ島駅前にあるシダックスさんへ。
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懐かしいシダックスさんの店内、カラオケクイーンを目指していた頃殆ど毎日のように通っていましたのですが、当時よく利用した1回の禁煙室は現在は女性用の喫煙室になっていました。なんだかちょっと可笑しくてそれでいて切なくて。そして黄昏迫る頃川越に戻て来た私、今日は旧にお寿司が食べたくなり、アトレ地下の魚屋さんで鮮魚のチラシを買い家路につきました。
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半日だけの一人旅、川越市霞が関へは23歳の時、此処で新婚の暮らしが始まった場所です。右も左も分からない生意気なお嫁さん。それでも一生懸命食事を作り、一生懸命近所と付き合う努力をしていました。門の側に栴檀のあるあの家は今はどうなっているのかしら。
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遥かに遠い日になったあの頃の記憶、しかし目をつむれば栴檀の花の香りが匂う日も。11歳も年上のあの人は今…、偶然近くに越してきた女学校の同級生KNさんは…。若い日の思い出が一杯詰まった霞が関界隈。私が母や亡夫と住んでいた家の前の公園は縄文の遺跡後だとか。私が引越した2015年後に調査が始まったそうです。
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心は既に新春(はる)模様 [夢半ば]

小春日和の川越の町を今最もお気に入りのコートを着て出かけました。行く先は教室と反対側にあるウエスタ川越まで。西口から5分ほどにあるのでとても便利です。今年の3月以来久しぶりに歩いてみましたが、以前は建物が無かった場所に工事が始まって空高くクレーンが動いていました。見れば某ホテルの名が。

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目的のウェスタ川越1階の受付カウンターで、来年から使用する『音楽室』の予約を済ませました。仮予約を入れると、5月までの日程が決まったことになります。参加者様からは金銭の授受はしないのが条件。つまり入場は無料の「歌の勉強会』です。

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現在進行中の市民講座が3月迄なので一部重複します。しかし、動いていた方が体にも良いようなので寒さに負けず頑張ろうと思います。それでも週一日の休日は作ることにしたいと。私の講座は歌ばかりでなく簡単なボイスや歌詞の仕組み、読み方、大切な息について等々。聴いて下さる皆様には本当に感謝です!

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新春(はる)迄あと1カ月と少し、気持ちは逸ります。しかし長い人生で自分の企画が採用され具体化する工程って本当に楽しいですね。そんな訳で寒さも風邪も吹き飛ばせ、気合で頑張るつもり。眠れる獅子になれたらもっと嬉しいのですが(笑)
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足掛け十年たちました。 [夢半ば]

2018年もあと僅か。いろいろ反省すべきことはあるけでど、おしなべていい一年だったと思います。しかしかつて無い程、歳を感じる日々でもありました。大きな病気はしたことのない私ですが、今年は意味の分からない痛みや、意味の分からない胸苦しさ。勿論お医者様に掛かればわかるのでしょうが、そのつもりはありません。

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理由は『人事を尽くして天命を待つ』とは行かないものの、その時その時の環境の中で精一杯生きて来ました。四面楚歌で逃げ場のない日々も焦らず媚びらず生きて来ました。天井まで回る程の眩暈が6カ月、大火傷で一晩中水道の水をかけ続けた冬の日、命だけは助かりたいと願ったのは世の中の不条理に負けたくなかったからです。

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あれから6年が過ぎ私に笑顔が戻ってきた今、残すことは一つだけ。2009年にCDデビューした時に私が歌ったあの曲、『小江戸桜』の復活あるのみです。足掛け10年の歳月は当時の歌声や体力には劣るかも知れませんが心を込めて歌ってきた歌ですし、命を懸けて世に出した曲なのでどうしてもこのまま消えさせたくはありません。長い人生沢山の出会いと別れを経験しましたが、この歌だけは別れることは出来ませんでした。

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この曲が生まれるまでには春の喜多院、夏の夜には蔵造りの街並みをそぞろ歩き、某老舗料亭の奥座敷では雪景色を眺めたりと、沢山の時間を掛けてきたのです。年齢的には決して若くは無かったけれど総てを掛けての挑戦でした。今でも一コマ一コマのシーンが生き生きと蘇ります。

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実はこの曲の2コーラス目、親子三代…のくだりは私が祖母・母・私と続く宮本家の跡継ぎだった事をヒントに書きました。川越の名所旧跡や四季折々の情緒を盛り込んだこの歌ですが、さらに素敵な演出があるのです。2009年春、出来上がった曲はなんと踊りたくなるようなラテンのリズム、淡い初恋を描いたはずのしっとりした歌詞になんと軽快なチャチャチャ。しかし今思えば素晴らしい演出でした。

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この歌、修業時代からの歌仲間の間では大好況でした。また東京.神奈川と沢山のカラオケ大会や歌謡祭などでも歌い続けてきたので、その都度「あら川越の歌ね」と沢山の方に喜んで頂きました。

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その後のことは何度も繰り返し書き綴ってまいりました。運命の悪戯なのか。舞台どころか私は三度の食事にも事欠くように。夫が遺した負の遺産は私の命をギリギリにまでも脅かすことに。こうして私は無念ではありましたが歌手活動を一時的にでも断面しようと思いました。その数年後、私に歌の指導者としての道が開かれ今日に至っています。

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開講5年目を迎えた教室はいつも笑いが絶えません。その中から私が作詞をしたこの歌の話が持ち上がり、その力強い応援を頂いて新たな挑戦に向かって只今準備中。



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お稲荷様からのプレゼント [歌人生]

宝くじを買いました。変な買い方だと笑われそうですが、以前の様に沢山は買いません。連番で3枚、つまり1,000円以下で買う事にしています。大昔10万円が当たったときもたった一枚でした。その日は上野で黒革のハンドバックを買った帰り銀行の宝くじ売りがで100円クジ一枚を買いました。

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早めに帰宅した私、近所の神社にお参りに行きました。健脚の神様がおられるので時々行きます。年齢に相応しい膝の痛みや腰の重み(笑)もあるので、健康でどんどん歩けて仕事がどんどん出来るようにお参りします。帰路の事です。家への曲がりがどのお店ですこし変わったコートが目に入りました。値段を見ると吃驚するくらい安いので購入。
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私の今のサイズでは無理ですが、ふとある事を思いつきました。そうだ、これ舞台衣装にしようと。何故かこれを着て懐かしい30年代の歌謡曲を歌ってみたいのです。変ですね。自分でも妙ですが心が何故かそこにどんどん曳かれてゆきます。

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食後買ってきたコートをゆっく見回すと、何と牛革、仕立ても丁寧です。どう考えても数千円で買える代物ではありません。デザインも素敵です。金額間違えた?いいえそれも違います。webで調べてみると有名なブランドでした。狐につままれたような気がしました。きっとお参りした民部稲荷(相撲稲荷)からのプレゼントかもしれません。何だか面白い事が起こりそうですね。



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