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たゆとう時間のなかで [夢半ば]

花冷えの土曜日です。一昨日はほんの僅かだった彼岸桜、昨日は公園全体が薄桃のベールを被ったように開花を始めました。そして今日は…どうなっているのでしょうか?
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今日土曜日は来週のイベントに向けて最終チェックを済ませる予定です。食事はとにかく冷蔵庫にあるもので工夫しようと決めていました。それでも朝、昼は満足できる範囲でしたが、流石に夕食は。冷凍庫から出てきたのは鯛焼きでした。仕方なく再加熱して食べてみました。元々美味しいお店の鯛焼きなので温め直しても味は落ちていませんでした。

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そんな長閑な休日を堪能した私ですが、ふと心配事が頭を持ち上げたとたん、また涙腺が緩みました。泣くほどの事ではないのですが、先日会食をしたTさんの事が不意に思い出されたのです。そういえばあの日は駅の雑踏で突然のさよなら。私の足を気遣って「此処で」…と。でも私、そのことが何故か気になります。

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知人のお店で食事をしたのは三日前です。初めてご案内した知人のお店でリラックスしたいい時間を過ごしました。煉瓦と木材でレイアウトされた店内、そして食欲をそそる匂い。知人のNさんのお店です。ここで過ごしたのは1時間足らずでしたが、たゆとう時間のなかで私はふとある確信を掴んだのでした。
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テレパシーを私に [夢半ば]

一寸先の事を読めないのが人生だと言われていますが、本当に考えてみれば私の人生も思いがけない事の連続でした。そして最終章に差し掛かってきた今になって、新しい挑戦を始めるつもりの私がいる事もまた想定外でした(笑)

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さて来年は兎に角忙しくなります。しかし体だけでなく出費も忙しくなります。何かを始めるという事は必ず経費が掛かると思われますので、分相応、身の丈でと思うのですが…、困ったものです。しかし不安材料ばかりではありません。場所も決まり、内容もほぼきまり、応援の方々も声を上げて頂いてます。不安がる事はありませんね。
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大掃除は昨日までにして今日はTVをみたり買い物したりお正月前の何となくそわそわした気分を楽しみました。しかし突然哀しみが沸き上がるときもあります。私はその為に寝室兼書斎に仏壇を置いてあります。ご先祖の位牌が沢山ある大きな桜の仏壇。私の父母と母の両親その子供達(幼くして亡くなった母の兄妹たち)の位牌です。随分多いですねと大概は言われます。

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祖母が九段下(東京)で暮らしていた頃からの位牌です。私は一人娘でしたから母から私へ遺されたものです。時々哀しみが襲ってくるとそのご先祖様の前で一心に祈ります。どうか名案があったらテレパシーを私に届けてと頼むのです。こうして孤独と祈りの2018年が過ぎてゆきます。

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久しぶりですレントゲン [夢半ば]

一瞬の事で何が何だか…。痛い「あら捻じれている?と思った私。左の胸も鈍く痛い。起き上がれないのです。顔が分厚い引き戸と布団の間にあり左腕の肘のあたりに体重が集中している感じが。「折れているのかなぁ~、この痛さ」思わずつぶやきます。
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数分間たってようやく左の腰のあたりにの鈍い痛み。絶望的にも考えられるシュチュエィションでしたが、無事だった右手で少しづつ体調を直し何とか立ち上がりました。実は今から外出する予定でした。
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一夜明けた今朝、以前使った貼り薬が見つかり左ひじにぐるぐる巻きました。しかし左肩の内側や左胸の脇も鈍い痛みが。今日は夕方まで仕事なので、このまま様子を見ることにしました。独り暮らしの辛さは痛みの哀しみも常に心に押し込めなくてはいけない事。孤独感の大きさは年毎に強くなります。

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仕事に出てはみるもやはり腕や胸が痛くて声も出せないので、仕方なく近所の整形外科に行くことにしました。教室から5分も歩けば着くところでした。先ずはレントゲンその後医師の問診んや診察。左ひじの一か所に[×]印が付きその後超音波治療を受けました。帰宅して暫くすると、何だか痛みが随分かるくなった気がしました。案外早く治るのではとの期待がしてきました。

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今夜はゆず湯。そしてこの日は昔から一陽来復を受けに穴八幡へ母と必ず行っていました。埼玉に来てからも随分行きましたが、ここ十年ほどは東京の友人が送ってくれています。この穴八幡様は商売繁盛の神様です。早稲田の家からは徒歩で10分程度でしたので12月の恒例になっていました。
※写真は小江戸川越のいろいろ。

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幸せは足から [夢半ば]

穏やかな午後の日差しに誘われて川越散歩。ではありませんが、仕事が終わった午後4時ごろ私は川越市役所に近い札の辻におりました。そこで観光協会に立ち寄り何処まで歩けるか試してみようと出発しました。

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一番街は今日もお客さんで一杯。車や人をなるたけ避けてカメラを向けながら歩きます。りそな銀行の建物には直ぐに着きましたので、路地に入ってみたのですが、お客さんが多すぎて顔も映ってしますので、諦めてもとの大通りに戻ります。

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ここではっと思い出したのはどら焼き。いつもKさんから頂く焼きたてのドラ焼き。ここしか売っていないのです。さらに写真を撮りながら見覚えのある角にでました。ここでは右折してお煎餅屋さんに伺う予定でしたが、水曜日の為か定休日の様でした。

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暫く行くと今度は左折、大正浪漫通りらしいのですが、お目当ての鰻屋さん、準備中でした。諦めてまた歩き始めると先日お酉様で来た熊野神社に出ました。そのまま直進、疲れが出てきたのでどこかで休みたいと思っていたら、餃子屋さん。中を見ると女性客もいたので私もカウンターに腰かけ、餃子に野菜炒めを注文。焼きたての餃子もモヤシ沢山の野菜炒めも美味しかった。

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店をでて更に歩きクレアモール通りを直進。家のそばを通りすぎ、カラオケ館さんへ。朝から声を出していなかったので1時間程練習。そして帰宅。家に帰ったのはもう7時近くなっていました。お腹は満腹なのに、買ってきたどら焼を食べて、TVの歌番組を見ながらウェスタで使うポスターやプログラムなどの下書きをつくりました。今0時21分、これからお風呂に入って長い一日が終わります。

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舞台への想い。 [夢半ば]

めずらしく朝から外出、川越西口にあるウェスタ川越まで行く為です。来年4月、音楽室の使用料を支払う為です。今日が期限でした。1月~4月まで毎月開催することにした勉強会、いよいよ現実的なものになってきました。チラシの準備も始めなくてはいけません。明日、明後日の休日中に完成させます。

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私は自分で言うのも変ですが本当に可笑しい性格です。何故かと言えば、今のままの静かな生活でも充分なのに、無理に苦労を買ってしまうのです。来年に向かって沢山の計画を次々に具体化しています。その代わり経済的にも肉体的にも心理的にも負担は増えるのですけれど。しかし現状維持がどうしてもできないのです。昔から一つ成就すればすぐにも次の仕事へ取り掛かる。これが生活のパターンだからです。

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こうしていよいよ長年の夢に向かって少しづつ夢を形にしてゆきます。スタートの1/31、来場者数はは全く予測できませんが、それでも開催することが大切だと思います。一回目より二回目、二回目より…、それが大切な事だと思います。2時間という時間は講座への参加ですでに20回以上の経験があるので、時間の使い方は心配ないと思います。

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先日探し物をしていたら出てきたのが2009~2014迄の記録、ステージ出演は大小合わせて62回ありました。その間にはTVの生出演やプロモーションビデオでのTV出演もありました。数カ月に亘るヘビーローテーションが2回あります。その他修行中の2006年から2008年までのカラオケ大会出場回数の150回を加えると200回を超えるステージ経験になります。流石に自分でも吃驚。出来る事ならもう一度だけう、出てみたい…と、時々想う事もあります。
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心は既に新春(はる)模様 [夢半ば]

小春日和の川越の町を今最もお気に入りのコートを着て出かけました。行く先は教室と反対側にあるウエスタ川越まで。西口から5分ほどにあるのでとても便利です。今年の3月以来久しぶりに歩いてみましたが、以前は建物が無かった場所に工事が始まって空高くクレーンが動いていました。見れば某ホテルの名が。

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目的のウェスタ川越1階の受付カウンターで、来年から使用する『音楽室』の予約を済ませました。仮予約を入れると、5月までの日程が決まったことになります。参加者様からは金銭の授受はしないのが条件。つまり入場は無料の「歌の勉強会』です。

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現在進行中の市民講座が3月迄なので一部重複します。しかし、動いていた方が体にも良いようなので寒さに負けず頑張ろうと思います。それでも週一日の休日は作ることにしたいと。私の講座は歌ばかりでなく簡単なボイスや歌詞の仕組み、読み方、大切な息について等々。聴いて下さる皆様には本当に感謝です!

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新春(はる)迄あと1カ月と少し、気持ちは逸ります。しかし長い人生で自分の企画が採用され具体化する工程って本当に楽しいですね。そんな訳で寒さも風邪も吹き飛ばせ、気合で頑張るつもり。眠れる獅子になれたらもっと嬉しいのですが(笑)
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足掛け十年たちました。 [夢半ば]

2018年もあと僅か。いろいろ反省すべきことはあるけでど、おしなべていい一年だったと思います。しかしかつて無い程、歳を感じる日々でもありました。大きな病気はしたことのない私ですが、今年は意味の分からない痛みや、意味の分からない胸苦しさ。勿論お医者様に掛かればわかるのでしょうが、そのつもりはありません。

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理由は『人事を尽くして天命を待つ』とは行かないものの、その時その時の環境の中で精一杯生きて来ました。四面楚歌で逃げ場のない日々も焦らず媚びらず生きて来ました。天井まで回る程の眩暈が6カ月、大火傷で一晩中水道の水をかけ続けた冬の日、命だけは助かりたいと願ったのは世の中の不条理に負けたくなかったからです。

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あれから6年が過ぎ私に笑顔が戻ってきた今、残すことは一つだけ。2009年にCDデビューした時に私が歌ったあの曲、『小江戸桜』の復活あるのみです。足掛け10年の歳月は当時の歌声や体力には劣るかも知れませんが心を込めて歌ってきた歌ですし、命を懸けて世に出した曲なのでどうしてもこのまま消えさせたくはありません。長い人生沢山の出会いと別れを経験しましたが、この歌だけは別れることは出来ませんでした。

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この曲が生まれるまでには春の喜多院、夏の夜には蔵造りの街並みをそぞろ歩き、某老舗料亭の奥座敷では雪景色を眺めたりと、沢山の時間を掛けてきたのです。年齢的には決して若くは無かったけれど総てを掛けての挑戦でした。今でも一コマ一コマのシーンが生き生きと蘇ります。

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実はこの曲の2コーラス目、親子三代…のくだりは私が祖母・母・私と続く宮本家の跡継ぎだった事をヒントに書きました。川越の名所旧跡や四季折々の情緒を盛り込んだこの歌ですが、さらに素敵な演出があるのです。2009年春、出来上がった曲はなんと踊りたくなるようなラテンのリズム、淡い初恋を描いたはずのしっとりした歌詞になんと軽快なチャチャチャ。しかし今思えば素晴らしい演出でした。

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この歌、修業時代からの歌仲間の間では大好況でした。また東京.神奈川と沢山のカラオケ大会や歌謡祭などでも歌い続けてきたので、その都度「あら川越の歌ね」と沢山の方に喜んで頂きました。

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その後のことは何度も繰り返し書き綴ってまいりました。運命の悪戯なのか。舞台どころか私は三度の食事にも事欠くように。夫が遺した負の遺産は私の命をギリギリにまでも脅かすことに。こうして私は無念ではありましたが歌手活動を一時的にでも断面しようと思いました。その数年後、私に歌の指導者としての道が開かれ今日に至っています。

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開講5年目を迎えた教室はいつも笑いが絶えません。その中から私が作詞をしたこの歌の話が持ち上がり、その力強い応援を頂いて新たな挑戦に向かって只今準備中。



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秋空の下で [夢半ば]

極彩色の夢を見てから2日が経ちました。まるで天女のような髪型に真紅色に金糸銀糸の刺繍が施された打掛のようなものを着た女性、何やら舞いを私に教えているようです。一段高いところで見ていた私の後ろに其の女性がいつの間にか上がって来て、その美しい打掛を私の肩に掛けてくれたのです。ふんわりと。暖かい温もりまで添えて。
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極彩色の夢は時々見ますが、温もりまで感じたのは初めてです。不思議な事にその女性の顔はぼやけて分かりません。不思議な思いのまままた新しい朝がきました。今日は11月24日土曜日、洗濯をして干して朝ごはんを食べたらもう午後一時を過ぎました。
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早い、本当に一日が早いです。教室の方もかなり忙しい毎日です。最近は私の動作も遅いのですが。教室、外部の講座へ、小さなイベント、公開講座等々。独り何役もこなす事へのあこがれもありました。思えば本当に人生という長い道をずいぶん遠くまできたようです。最後の道は険しく胸突き八丁が何年も続きました。しかし現在は穏やかな、季節でいえば早春、いいえ初秋のような日々。その中で人生の最終章を綴らせて頂いています。
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今まで一度も公言しませんでしたが、歌を始めた動機は『母』です。79歳でアルツハイマーになり80歳から9年間、特別養護老人ホームでお世話になりました。10年後に母が他界した後、私は自分の住むこの街で、老人施設への歌の訪問を思いつき、各施設に問い合わせてみました。ところが何件問い合わせても返事は同じ、意外な返事を聞くことに。沢山の希望者がいる、本物の歌手でないと駄目だと言われました。
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ショックでした。そして一念発起。亡夫も賛成でした。夫は『君の葬式はもう出来ないけれど、歌手に成るまでは応援する』こうしてて私の歌人生が始まったのです。そして思いがけず幸運に導かれ2009年私はCDデビュー、その後は日ごろの研鑽、ステージやTV出演で経験を踏みました。しかしその3年後、夫はまさかの急逝。あれから6年の歳月、筆舌では尽くせません。
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歌は私の暮らしの一部を支えてくれた居ます。そして今年前半の嵐(広告に便乗した脅し)をようやく乗り越え、しかし酷暑の反動での最悪な体調が続きました。長い夏も終わり遅い秋がやってきた頃、秋が連れてきたのか、追手が吹いたのです。私の意志はきまりました。これからどのくらい活動できるかはわかりませんが、想いは一つ、『唇に歌を!』そして『微笑んで100歳!』

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乗ってみようか追い風に [夢半ば]

木曜日の今日は市民講座に行く日です。それは3年前の事でした。ウエスタ川越にある公民館で見つけた講座主宰者募集のチラシ、その年はギリギリの日程でしたが応募した私、運よく採用されその年から講座を開くことができました。あれから3年、今年も無事講座が開かれました。

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毎回多数の応募者さんんがありその中から抽選で選ばれた受講者さまは20名、5カ月間のなかで8回~10回という長丁場の講座を無事に勤めて来ました。今年も11月からスタートし来年3月まで全8回の講座になります。座学と歌のレッスンを交え、手前みそですが、充実した内容だと思います。
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毎年工夫をすることが楽しく、実施中も楽しく過ごさせて頂いて居ますが、年を重ねる程資料作りや準備は難しくなります。受講者さまの歌歴も深い方や長い方も多く、私も勉強に余念がありません。また資料も増え部屋には資料の山ができました。

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しかし思い返せば、資料集めは人生で何回もありました。不動産や建築と20歳~今日まで、その半分の歳月を過ごしてきましたが、やっぱり沢山の資料を集め部屋には幾つもの山が積まれていました。どの仕事も楽しくエキサイティングでした。想い出は遥かですが振り返れば、その時代時代の自分がいます。そう考えれは将来(笑)、今の時代を振り返るにふさわしい経験を積める日々は、とても幸せな事です。その想いを胸に来年はもう一つ、挑戦して見たい事があります。
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『てんてん手毬』 [夢半ば]

童謡やわらべ歌を思い出す年(年齢)になりました。母が歌った子守歌は流石に覚えていいませんが、幼いころ母が歌って呉れたあの歌、この歌は沢山覚えています。その中の一曲『毬と殿様』という歌の一節に『おもての通りへとんでった とんでった』という箇所があります。手毬で遊ぶ子供の小さな手がそれて、手毬は表の通りへ飛び出しました。なんとビジュアルがある歌なのでしょうか。大好きです。
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何だか今の私に似ている、ふとそう思いました。偶然が物事を大きく変えることもありますね。そしてその偶然が私の上にも起こりました。10月も下旬に入ったある日、教室に大好きな大きなユリを見つけました。私はふと、忘れかけていたあの時代を思い出しましたのです。生け花に懸けた若き日の事です。
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華道家になる夢を見て入校したのは、当時お茶の水にあった生け花の専門学校でした。そこでの3年間はほぼ毎日花を生けてはスケッチ、華展での生け込みや美術館巡り、もちろん卒論の提出もしました。卒業後は結婚したにも関わらず、更なる上級を目指して堀之内にあるⅠ先生に教えを乞うて弟子入り。しかし、若き日の夢は激しくもあり脆くもあったようです。
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さて『毬と殿様』へ戻りますが、表の通りに『とんでった手毬』は通りかかった紀州の殿様のお籠の上に…。そして紀州のミカンになったそうです。私は考えました。ミカンには慣れないけれど、収めた技がある。そうか『総合力』を働かせれば…。
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暫くして不思議な事が起こりました。長い事まさに悲願だった或ことがこの度進展し成就する事となりました。まさに夢です。『てんてん手毬』のようにいつの間にか…そんな感じです。ミラクル!です。来年はきっと面白くなりそうな予感が。頑張ります!



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