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さよなら平成、さよなら孤独の日々 [八重の狐]

平成4年、あの時私はこのまま独りで暮らすか、ここで伴侶を見つけるべきか迷っていました。仕事も面白く母も健康でしたが何故か自分の老後の姿が気になっていました。それには少しばかり理由があったのですが。

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母が悲しい別れを余儀なくされたのは母が70歳ぐらいの時です。父が亡くなった後の私と祖母を養うのは母しかありませんでした。昭和23年の事です。そこから33歳の母と6歳の娘、祖母は当時61歳でした。ここから母娘(おやこ)三代の歴史が始まったのです。昭和23年頃の東京、まだまだ女性の働く場所もなく母は私をおんぶして都電江戸川橋の下を流れる神田川に何回も身を投げようとしたそうです。その暮らしをフォローしてくれたのは実業家A氏、そして私達家族は戦争中から暮らした文京区の家を後に隣町新宿区早稲田の住人となったのです。その後縁あって川越の住人になった母と私。そして母が70歳の時にA氏は他界。病院へ見舞ったものの家人に遠慮した母は私だけ病室へ向かわせ自分は外で待っていました。「お母さんによろしく」とのA氏からの伝言を伝えた時、母は声を出さずに肩を震わせすすり泣いていました。初めて見る母の姿です。切なく辛い思い出です。

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その姿が目に焼き付いた私は、40歳になった時、やっぱり独身は止めよう、共白髪がいい!そう思ったのです。職場で一緒だった亡夫との浅い交際で結婚したのもそんな理由でした。しかし30年後まさかの未亡人へ。あれから7年の歳月が経ちました。人の世にこれ程の哀しみがある事を私は知る事となったのです。しかし思いがけない運命がそこには待っていたのです。

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そして時が経ち私も高齢者へ。ですが心はあの40代の自分とたいして変わっていません。ただ客観的に見ればやはり老齢に伴った体の衰え認知機能の衰え、見た目の衰えは歴然です。あぁ~、もうもう考えただけも不安になります。しかしここまで頑張ってこられたのですから来る令和の時代もゆっくりと味わって私が出来る範囲で社会貢献もしてゆきたいと考えています。老後の暮らしはお互いに人が宝です。認め合い寄り添いあい慈しみあえる時代(理想ですが)になって欲しい、私の歌の道がその何かに寄与出来たらいいのですが。
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