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今宵も、涙ポロポロ、、、。 [夢半ば]

秋の夜長に考える事といえば、やっぱり遠い日の思い出。顔も覚えていない父や、若き日の自分の事。今思えばどのシーンも切なすぎます。本当に楽しい事は少なかった! 特別に辛い事はなかったけれど孤独感の連続であった気がします。

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また何事にも正面からぶつかりそのまま傷ついてきた気がします。そして今でもその気性は全く変わらず、所謂<軽くいなす>という技は持ち合わせていません。そのたびに心が傷つき体は何らかのダメージを受けて来ました。今回も、夏で疲れた胃腸のせいもあるけれど、目に見える程の激やせに驚かれます。

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何故思いっきり泣けないのだろうか、何故おもいっきり怒れないのだろうか?自分で自分い腹が立ちます。立場ってなに、見栄を張ってるの等と自問自答の日々。確かに今度こそ幸せになりたかった、どうしても志を捨てきれないから。しかしそうではないのです。人から虐められるのはやっぱり『弱虫!』と。私の心を見透かされているからだと、そう思います。

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昨日は年に一度『埼玉会館小ホール』で催されるライブコンベンションがありました。過去7回はその出場が楽しくて、元気だった亡夫の嬉しそうな姿が目に浮かびます。今年も去年に続き辞退した私。1カ月以上も悩んだけれどやはり辞退しました。恩師や懐かしい仲間と会えるのに。しかし体調不良でもあるし、まして衣装代や経費の捻出は大変です。それに…つまりあの華やかな世界はいまの私には不似合いに思えてしまうのです。

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そのくせ、今日も何故か誰もいない部屋で涙を流しながら歌っています。どうしたのだろう~、どうすればいいのだろうか。間もなくこの命が終わるかも知れないと考えたりもします。寂しいのはだれも同じ、いいえやっぱり老境の寂しさは特別なのかも知れません。昼の華やかさから静寂の夜。やっぱりそこ知れない怖さがあります。




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十五夜の下で。 [黄昏に向かって]

十五夜を見て来ました。近所の公園ではやっぱり既に撮影がスタートしていました。私は例によって手に入る程の赤いカメラ、唯一残った夫の遺品。さてお目当ての十五夜、本当にまん丸。時折雲に隠れまた顔を出すさまに母の顔がぼ~っと浮かびます。

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最近話題の宇宙旅行の話、若しかかしたらいまに誰でも月に行ける日が来るのでしょうか。そこにはウサギはいないとしても…。もう少し生きていたい、時々そんな風に思う事があります。連休3日目の今日は教室へ。レッスン後は私自身の歌いたい曲、覚えたい曲をひたすら歌います。

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歌うほどに汗ばんできます。次第に体が軽くなり心も軽くなります。やっぱり歌はいいなぁ~と心から思います。最近は私が30代頃の歌を見つけては歌っています。勿論懐かしいからですが、人情の機微を感じる曲に時々うるうると。歌い続けて15年が経ちました。

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もっと昔から数えれば3歳ぐらいから歌い続けていました。小さなおもちゃの赤いピアノで聴きたての童謡を弾き語りしていました。なのに今はピアノは無理です。それにはちょっと訳があります。小学校の3年生の時、早稲田に転居して間もなくの頃でした。同じクラスMさんおお家へ行った折です。彼女は頭もよくピアノも上手でした。お父様は大学の先生。家に帰って母にせがみ私もピアノを習う事に。さてその初日の事です。ピアノ教師の女性から小指が届くようになってから又いらっしゃい!と告げられました。以来ピアノへは近づかなくなった私。

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余談でしたね。さていよいよ秋本番、私の教室も忙しくなります。生徒さんお募集、公開講座、5周年記念のイベントも開催したいし。生徒さんが増えることはとても嬉しいのですが、いきおい覚える曲も増えます。新曲を希望される方が多いので、教室の棚にはどんどんCDの数が増えてゆきます。その分費用もどんどん増えてゆきます。家に帰っても聴きながら別お仕事をしています。PR用のパンフレットやシーズンごとに講座案内(三つ折り)譜面の整理。すべて私一人の仕事なのでかなり疲れます。しかし楽しい日々です。何時までもこの穏やかな暮らしが続くように月の中の母にさっき頼んでおきました。



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鬼女のリノベーション [夢半ば]

またもや鬼女が大騒ぎ。流石に開いた口が塞がらない私ですが、ここは勝ち負けより対策を考えなくてはと。これで何回目になるのだろうか鬼女たちの攻撃、それともこれは彼女たち自身の立場を守る防御策なのかしら?

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待ち望んでいた心地よい秋風が吹き始めた日、またもやあの鬼女たちが踊り始めた!もういい加減にして欲しい。罵声、中傷、営業妨害、あらゆる奇行の数々。私はその程度では倒れませんが、奇行を繰り返す理由は何ですか?

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鬼女たちの『嫉妬心』がこうさせた、このように言う方もおられます。私を含めて初老の女、女。えっ嫉妬、それも私に?まぁ~有難う。私にまだそんな魅力があったなんて、嬉しい限りです。しかしそうではありません。そんな可愛い女ごころがあるなんて、まさかあの鬼女軍団にあるなんて。あるものはただ一つ。強欲という悪しき欲ばかり。

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その結果、標的を私から私の大切な大切な私のお客様に難癖をつけ始めたのです。自転車置き場を利用する際、行きも帰りの鬼女に挨拶するよう現場で通告したそうです。これを聞きつけた私、過ぐに頭を下げて頼みに行ったのに、今日もまた別のお客様が鬼女の手に掛りました。かくして鬼女の許可なしに自転車の出し入れができないという不便で、理由なき嫌がられに屈する羽目に。でも今回はこのままでは終わりたくはありません。

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私の住む町にある小さなお店、何時も常連さんがいっぱいのお店です。この店へ日に二回、私は立ち寄ります。鍵を取りに行き鍵を返しに立ち寄るのです。店には美女が三名、しかし私の目には鬼女が三人と見えてしまいます。最初の内は随分虐められました。扉の開け閉めから、お辞儀の仕方、お店のお客さんへのご挨拶、物理的嫌がらせ、酒の肴状態にもされながら。私が戸惑い意気消沈する姿は鬼女軍団では御馳走のようでした。今流行りのパワハラ?? 悔し涙をどのくらい流したか…しかし慣れとは恐ろしい、何時しか馬の耳に念仏、勝手にしてねと無視することに。

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鬼女には穏やかな時間がないのでしょうか? それとも鬼女の気まぐれ戯れか。いやいや今度こそ真剣勝負かな? 解決策が無い訳ではありませんが、今回もまた『負けて勝つ』で解決しようとする自分が腹だたしい気がします。いっそこの際ですから鬼女退治したい気分です。鬼女のリノベーションできたらいいですね。微笑む鬼女もありなのかと。
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歌なのに語るの? [歌人生]

「そうなのです、語らないとね」。この言葉、かつては私が言われ続けていました。しかし今は日に何回か覚えられないほど言っています。判ったつもりでも此処まで随分かかりました。風雪××年ですね。

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教室に見える生徒さんは当然ですが歌好きなかたばかり。歌歴もさまざまですが、流石とても個性豊かな方々です。開講当初からの方も多く嬉しい限りです。さてその歌のレッスンでよく話題になるのは『語るように歌う』この語り部分の解釈と実践です。

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最初は汗をかきかき説明していましたが、今はその部分では自信があります。何故って昔からの理だから…ではありません。曖昧模糊ではないのです。もっと現実的なのです。そこで私は具体的に日常会話のなかのフレーズで説明します。実はこれ今の私の宝になっています。

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ただの話し口調(しゃべり)されど音楽が流れるとどうしてもメロディー優先。 入門して暫くして、その意味を生徒さんに理解していただけた時、私は背負った重い荷物をひとつ下ろした気がします。恩師から授かった『語りの』解釈は今、教室の生徒さんへと引き継いでいます。

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大きな野望はありませんが、小さな夢はまだ捨てきれない私。その為にはもう少し喉が治るといいのですが…5月以来の喉の不調はちょっと深刻。原因を考えると“歳月は人を変える”この理屈をまだ納得できないからなのです。“人には変わらない真実もある”、私にはそう思えてなりません。

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さとりちゃんの話 [黄昏に向かって]

もう6年も前になります。facebookの投稿した名も知らぬ鳥の写真、これを見たKさんから頂いたコメントには『この鳥は“さとり”といいます。』とありました。えっ“さとり?”私は一瞬そう思いましたが、もう一度読み直してみると、それはきっと『悟り』の事だと知りました。
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あれから大勢の方の励ましと叱咤激励を頂きながら今に至っています。思えば遠い道でした。連れ合いの突然の死は、この世に地獄があるのなら、目の前にある光景が地獄なのかも知れないと思った程でした。当時の私はその3年前の2009年9月のCDデビュー以来、歌手として更なる飛躍を目指し一目散に駆け上ろうとしていた時期でした。
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独り暮らしはすべての希望を失わせ、半年も待たずして、家中の電気、ガス、水道迄止まってしまいました。貸していたアパート収入も一人去り二人去りと。もう「生きられない!」と思いました。親しかった友人数名にお別れの手紙や電話をしました。最寄駅のホームの最先端から近づいてくる列車をじっと眺めました。かろうじてその気持ちを食い止めたのは家に待っている当時15歳になったトラ吉の存在でした。夫が可愛がっていた茶トラ猫はショックから病気がちになっていました。
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さて、その後の生還までの詳細は今は未だ綴れませんが、当時の私には世間は本当に冷く思えました。孤独死や餓死という言葉ばかりが目に付いていました。そんな私をきめ細かく助けて下さったのは猫友のHNさんとご主人と長年お店経営をしているAKさんでした。お二人の協力がなかったら、当初の危機は乗り越えられなかったと今でも思っています。そして先の見えない満願の日を、私は待ち続けていました(※ここで言う『満願』とは私を襲う魑魅魍魎たちが消滅する日の事です)。
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運命とは何がきっかけで好転する計り知れません。2012年から2年後の2014年2月、大雪の日でした。右足の大やけどが治らない私は雪道を歩く為に『赤い革靴』に足を入れました。かなりの激痛です。しかし大切な外出ですから、何が何でも目的地に辿り着きたいと思いました。すでに愛車もなく、タクシーを利用する余裕もない私、徒歩と電車で目的地へ向かう事にして、トラ吉を残し家を出ました。
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白い雪に赤い靴、家の前の電線には沢山の冬鳥たちが止まって囀っていました。この光景に何となく心が軽くなった私、最寄り駅までは普段の倍ぐらいは掛りましたが、痛みも忘れて歩いたように覚えています。そして上り電車で2つ目、目的の駅に降り立ちました。駅から7.8分の目的地が近づいたとき、その時まさに運命の女神が微笑んだのです。
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その後の私、仕事も軌道に乗り、平穏な日々を送っています。しかし残念な事にあの経験が生かされないのか、未だに迷いが多く様々な煩悩に苛まれています。その時いつも思い出すのが、冒頭で紹介した『さとりちゃん』の事です。何処にいるのだろう~さとりちゃん。家の近くでも時々“さとりちゃん”に似たヒヨドリを見かけますが、私の探す『さとりちゃん』ではないようです。まだまだ人生修行が足らない私です。



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