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黄色い手提げ [八重の狐]

私のラッキーカラーは黄色。しかし最近はすっかりご無沙汰になっていたこのラッキーカラーと久々に再会しました。100円ショップで買った手提げ袋。黄色と紺というお洒落な組み合わせです。
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さてそのラッキーカラーを身に着けてから不思議な事に身が軽くなり昨日今日と2日に亘る大掃除も無事こなしました。私が現在所有している衣類の70%ぐらいは処分しました。断捨離したことになります。
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残るは書類や小物たち。これは少し丁寧に吟味して片づけようと思っています。あと2カ月でお誕生日を迎える私ですが、昨日は電話の向こうから「お年寄りは…」と言われ大ショック。やっぱり外見もお年寄りなのでしょうね。しかし自分としては、心持ちはそんなにお年寄りではない気がしますが…。仕方がないので認めることにしておきます。

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毎度書かせて頂いていますが、今年の庭は凄いです(今までよりは)。毎朝紫陽花の花が増えているし、猫達が寛いでいるし、洗濯物が良く乾くし。しかし難を言えば私の心に常にあった集中力が欠けてきたことです。これをみると『お年寄り』と言われても仕方がないのでしょか?でもお年寄りはまずいのです。何故なら私は仕事がしたいので、やっぱり不都合だと思います。

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さてその仕事、ただでさえ競争が激しい歌の先生。ここでは周囲に乱立。教室から1~2分以内に5か所ほどあります。更に昨年から包囲されています。一人の生徒さんを数人の先生でシェアする。これも時代ですね。折角楽しい企画で6月をスタートしたのですが、少し気分を変えて街を歩き回ろうと思っています。黄色い手提げ袋に沢山の話題を集め見聞を広めて来ようと思います。乞うご期待です!


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女神からのご褒美 [八重の狐]

ひょんな事がきっかけとなって今日6月1日は大掃除をすることになった私です。最初は仕方がないので嫌々スタートしたのですが、中盤になり体中が大汗を書き始めたころになると、嫌いな大掃除が面白くなってきました。6畳の和室に置ききれない程のビニール袋が溜り始めた頃です。袋の山を眺める私に変化が起こります。その時私は、心地よい風と頂き物の拘りのコーヒを心から楽しんでいたのです。

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ノルマが終わったのは午後7時。流石に腰も背中も固くなってロボット歩きをする私。しかしこの爽快さはなかなか味わえないと思いました。その上掃除以外にも着物の陰干しもできたし、お宝も見付かりました。そのお宝の一つはウエストを飾るベルト。そして…、思いがけないものが見つかったのです。

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実はこのお宝はもう無くなったと思っていたもので、まさか此処にあるとは想いもよりませんでした。しかし6畳の和室に厚み15センチほどの長細いダンボールがある事は知っていました。まさか幻の『小江戸桜」が。箱には新しいCDが100枚ぼど入っていました。もう心臓のがドキドキです。

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今年の1月~4月まで催した『小江戸の春を歌おう~』のときは全く気が付かず、CDはもう一枚もないと思っていたのです。でも不思議です。もう一度頑張ってみよう~、そう思って活動を始めたとたん、紛失したと思っていたオリジナル曲のCDがこ家の中に有ったとは。
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これは歌の女神の御意志でしょうか? 実は催しやライブを開催して以来かなり災も起きています。そのせいか朝方の目覚めは胸苦しさから始まったりと。まさか『最後のステージ』そんな気配すら感じていました。

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勿論、命の期限は分りません。しかし活動できる体には消費期限があると思うのです。そう考えれば私の年齢では何年も無いと大概の場合は理解する筈です。なので私も、ここ数年が勝負かと思います。それで充分です。確かな道を進むのですから迷いはありません。 
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夜叉の顔 [八重の狐]

夜叉をテーマにした歌は随分あります。殆んどが女の情念を描いているようですが…。取敢えず私、女性のつもりで生きて来ましたが、それほどの情念を持った事は無いし、もし持ったとしても憎しみの情念は案外すぐに忘れてしまう私です。愛しさだけが残ると思っています。私は愛しさとは慈愛だと思っています。儚いものを見る心です。愛の儚さは慈愛でしか救えません。
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ところで、此処まで生きてきてもまだ解らない事がたった一つあります。それは生涯で一度たりとも愛された事が無かったという事です。亡母や、祖母やから送られた大きな慈愛は今も忘れられません。しかし不思議ですが、亡くなった夫からも、大恋愛したと思った青春の日の恋人も、命まで掛けた最後の恋人も、彼らからの愛はすべて私の妄想だったとさえ今は思えます。
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(笑)今更どうでも良い事なのですが。やっぱり気になります。人間としても私は愛情深いし、努力家ですし、節操をもって暮らしていると思っています。人の何気ない言葉から持ちきれないほどの幸せを感じた日もあれば、遠い日のハガキを見て、少しだけ切ないい気持ちになる時もあるのに…どうして、何故、心から愛されたとい実感を持てなかったのでしょうか。今も解明されないまま時ばかりが過ぎてゆきます。
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鶴が舞う日まで [八重の狐]

少し早めに教室を出て私は、自宅に主な荷物を置いて夕方の散歩に出かけました。この時間は一日で一番好きな時間です。きょうは幾分風が強くて薄着では首筋から風が入ってきます。急ぎ足で山野楽器さんへ。そこでCD1枚を受け取り、すぐそばのコンビニでアマゾンへの送金。画像処理のソフトを使いたいのでテキストを購入したのです。

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長い事使っていたフォトショップ.4年前の引っ越しで紛失。たまたまNETでみつけたフリーソフトをダウロードしたものの使い方が分からず思案していたら、アマゾンで使用方法のテキストを見つけ注文したのでした。
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さてその帰路、マルヒロへ足を向けた私、目的は地下の食料品売り場。ところが通常は使わない正面脇のドアから入った私は、奥の方に呉服の展示を見つけました。少し興味が覚えて、立ち寄ってみることに。そこは催事場らしく沢山の着物や帯そして和装の小物などが展示さていました。一番手前の振袖に近づいた私、そのプライスを見てみて吃驚です。ステージ衣装にしたい振袖が超破格値で出ているのです。
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実は私、ステージ用の着物は2着しかありません。ほとんどの場合購入せずに専門店でお借りします。豪華な衣装ばかりなので手入れが大変です。その都度お借りした方が手間がかからないのでそのようにしていました。しかし急な場合もあるので白地に牡丹と鳳凰が描かれた訪問着とエビ茶色に板しぼりの振袖、絞りの部分は白く出ます。このこの2着は購入して以来大切にしています。

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さて話は戻りますが、その朱赤に大胆な金箔銀箔で染め上げられた振袖を見ている内に私はふと「舞台でこの着物を着てみたい!」と思い始めたのです。何故かといいますと、その理由(わけ)は着物の絵柄にあったのです。とてもクラシカルな柄の振袖、若い時に流行ったそれと酷似していて、とても懐かしかったのです。勿論日常では着られませんが舞台衣装としての価値は十二分です。

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そんな経緯の結果まさかの購入となりました。この着物は古典的なな模様です。繊細で華やかな模様が描かれている上に、生地そのものにも模様が浮き出しています。これを地紋といいます。購入した着物の地紋は鶴が織り込まれています。実は鶴は私にとって特別な鳥です、なぜなら生後間もないお宮参りの祝着にも鶴が描かれ、結婚式の真紅の打掛には一面に鶴が飛んでいたのです。そんな訳で、この振袖に特別の愛着を持ってしまった私です。
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この着物に袖を通す日が来るかどうかは『神ならぬ身の知る由もなし』ですが、出来れば年内にでもこの振袖で『小江戸桜』を歌いたいと思っています。


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さよなら平成、さよなら孤独の日々 [八重の狐]

平成4年、あの時私はこのまま独りで暮らすか、ここで伴侶を見つけるべきか迷っていました。仕事も面白く母も健康でしたが何故か自分の老後の姿が気になっていました。それには少しばかり理由があったのですが。

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母が悲しい別れを余儀なくされたのは母が70歳ぐらいの時です。父が亡くなった後の私と祖母を養うのは母しかありませんでした。昭和23年の事です。そこから33歳の母と6歳の娘、祖母は当時61歳でした。ここから母娘(おやこ)三代の歴史が始まったのです。昭和23年頃の東京、まだまだ女性の働く場所もなく母は私をおんぶして都電江戸川橋の下を流れる神田川に何回も身を投げようとしたそうです。その暮らしをフォローしてくれたのは実業家A氏、そして私達家族は戦争中から暮らした文京区の家を後に隣町新宿区早稲田の住人となったのです。その後縁あって川越の住人になった母と私。そして母が70歳の時にA氏は他界。病院へ見舞ったものの家人に遠慮した母は私だけ病室へ向かわせ自分は外で待っていました。「お母さんによろしく」とのA氏からの伝言を伝えた時、母は声を出さずに肩を震わせすすり泣いていました。初めて見る母の姿です。切なく辛い思い出です。

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その姿が目に焼き付いた私は、40歳になった時、やっぱり独身は止めよう、共白髪がいい!そう思ったのです。職場で一緒だった亡夫との浅い交際で結婚したのもそんな理由でした。しかし30年後まさかの未亡人へ。あれから7年の歳月が経ちました。人の世にこれ程の哀しみがある事を私は知る事となったのです。しかし思いがけない運命がそこには待っていたのです。

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そして時が経ち私も高齢者へ。ですが心はあの40代の自分とたいして変わっていません。ただ客観的に見ればやはり老齢に伴った体の衰え認知機能の衰え、見た目の衰えは歴然です。あぁ~、もうもう考えただけも不安になります。しかしここまで頑張ってこられたのですから来る令和の時代もゆっくりと味わって私が出来る範囲で社会貢献もしてゆきたいと考えています。老後の暮らしはお互いに人が宝です。認め合い寄り添いあい慈しみあえる時代(理想ですが)になって欲しい、私の歌の道がその何かに寄与出来たらいいのですが。
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忘れ物 [八重の狐]

インスタ映えにあこがれて1週間ほど投稿を重ねてみました。画像処理をする楽しさもあり、少々重かった『春の憂い』も殆ど治ったようです。その原因のひとつは、今月が年金受給月である事すっかり忘れていたからです。偶然に会話の中でそのことを知り、ひと安心。季節の変わり目はいろいろ経費が掛かりますが、私も個人、教室と重なると大変。その多くは少額でも広告費なども日常的にかかります。
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さて4月が始まって15日もたちました。あと半月あまりで5月を迎えます。5月と言えば祥月命日になります。実は今から15年程前に、亡母を思って書いた詩があります。何回か投稿などしましたが、何回読み直してみても、あの感情は経験した人でないと解らないような気もします。
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認知症という言葉が日常的に見聞きされるようになった昨今とは違い、当時は誰に聞いてもはっきりした病状すら分かりませんでした。母79歳にアルツハイマーと聞かされ、その後10年以上の歳月を母は頑張って私の為に懸命に生きて呉れました。今日は2011年11月31日付のブログに投稿した『雑木林』という私の詩をもう一度投稿させて下さい。
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      雑木林           
            作:宮本 都

 車いすが揺れる 母が笑う
 仔犬も笑う なのに私は泣いていた。
 サァーと一陣の風が 雑木林を抜ける   
 この瞬間私は 
 無限大の愛に包まれていた 

 「牛乳飲む?」
  母の目に鋭い光が走る
  残った五感が反応している
  チュチュ チュ チュ
  母が微笑む 仔犬も微笑んだ 
  私もそっと微笑んだ
 
 車いすが揺れる
 梢がざわめく 車いすが揺れる
 雑木林に 風が亘って行った


後記:平成16年5月、10年にも亘るアルツハイマー
病との闘いも終わり、89歳天寿を全うした母への
鎮魂歌として書いたものです。
難病といわれるこの病気ですが、「老い」という、
誰しもが通る道にある病という堰、これを越える
にはやはり家族の愛情が不可欠だと、自身への
反省を含めて思う次第です。

    
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風騒ぐ [八重の狐]

時の流れについて物思う頃がありました。遠い遠い昔です。『あと3年ぐらい待てる?』そんな言葉を生まれて初めて聞いたのは十九の時でした。当時社交ダンスに夢中になっていた私、パートナーとしてダンス初心者だった私を導いて下さったWさん、N大を卒業し、そんな言葉を残して大阪へ。
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その時の私は何を思い何を考えたのかもう忘れてしまいましたが、心の中に大きな穴が開いたように…。しかし当時はそれを初恋とも気が付かず。その後結婚までの年月、再び彼のような良きダンスパートナーに巡り逢うことはありませんでした。
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其の後30代になり再びダンスに巡りあった私、ダンス教室で出会ったSさんは私より7歳年上ねダンス歴はかなりの方。其処からまた私のダンスへの想いは再燃。明けても暮れてもダンス三昧。しかし10代の時の踊りのように羽根を持った私にはとうとう出会うことは出来ませんでした。其の後ダンスとの縁が薄くなり、私には殆ど縁が薄かった不動産、建築の業界でスキルを積むことに
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初めての職場は東京丸の内、職場の先輩は所謂不動産のスペシャリストばかり。入社時から2年間は同行させて頂きながら勉強の日々でした。仕事が終わると八重洲界隈のスタンドバーで飲み歌った日々、此処から私の営業マン人生が始まりました。
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不動産から建築へと舵を切ることになったのは川越に転居後になります。この仕事も更にエキサイティングでした。初めての輸入住宅と対面した日、勉強のために北米、カナダへの研修旅行。建築営業のみならず設計士へ挑戦た日もありました。しかし2級建築士試験では学科のみ合格、3年間の猶予があるものの実技では2年とも落第。当時はきっと泣き叫びましたが、今ではいい思い出です。
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悲喜こもごもの人生ですが、その人生の沢山の経験や出会った方々の思い出が今の私を育てて下さったと改めて思う今日この頃、これから私、今度は誰かの思い出になれる自分でありたいと秘かに心に決めています。
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記憶の糸 [八重の狐]

寂しい部屋を飾るのは仏壇に供えられたトルコ桔梗。グラデーションが美しいピンクの大輪です。桔梗と言えば紫の慎ましやかな花、母が大好きな秋咲く花を連想しますが、この頃はいろいろに品種が花屋さんの店先を飾っています。

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この3月から体調不良だった私ですが、睡眠と食事のコントロールが成功したようで随分元気になりました。肝心な喉の調子もだいぶ良くなってきました。睡眠不足はやっぱり良くないですね。今の私には大した心配事がある訳ではないのですが、睡眠不足の原因は暮らしのあれこれもあるのです。

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緩んだ鍵穴の修理や、詰まったエアコンの掃除、外れそうな便座の修理、放置したままの庭の粗大ごみ、押入れに入ったままの不要のボロ等々の始末。この程度の事は誰でも体験する日々の暮らしの一コマですね。しかし一人暮らしで加齢の私には大変な重労働です。連休には、夏までには、何回も何回もそう思いながら転入以来三度目の夏を迎える事になりました。

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そう言えば、桜の季節で最後を飾るのは八重桜ですね。実はこの春、私はあの桜に無性に会いたくなりました。八重の狐の故郷です。いつもなら4月の半ばから咲き始めるのですが、今年はもう咲いている筈です。あの樹とは悲しみや喜びや感激を分け合って来ました。母の想いもたくさん詰まっています。PCにある沢山お写真の殆ども、あの樹のある三角公園から始まったのです。今年はそろそろ八重桜に逢いに行ってもいい頃かと思う私です。




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演歌のような…です。 [八重の狐]

誰だって自分の運命を前もって知ることは出来ませんね。でも私、ある程度の予感はあったのです。何故って一口では言えないけれど、そんな星の下に生まれて来たのかとある事から思うようになったからです。
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女の一生は…♪演歌みたい、そんな時代もありましたね。でも今は女性たちは活き活きとしています。それでも女性ゆえの苦労もきっとあるのでしょうね。私の人生での誤算はやっぱり夫に先立たれた事でした。経済的と云うより立ち位置が今もって解らない程、独り者は孤独ですし、信用度もいまいち。いいえこれは私だけかも知れませんが。
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周囲の女性たちは本当に活き活きとされています。ふと自分が辛くなる事もありますが、思えば若い頃の私は傍から見ればとても幸せな筈だったのですから五分五分ですね。確かに苦労しないまま20歳が過ぎて気が付けば40歳になっていました。
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40歳の時思ったのは老後の生活でした。母は結婚には反対でした。しかし私は老後に独り暮らしは嫌だと思っていたのです。ある日、母の哀しみを目撃してからは、何が何でも結婚だと思っていたからです。
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私が『八重の狐』を書きたい理由、実は此処にあるのです。女の幸せは一体何処に…。40歳にして老後を憂いる事になった私、どうしても自分の人生を書いてみたいのです。自叙伝ではありません。最後の時に笑って逝けるように解決しておきたい、いいえ納得しておきたい。それが八重狐への想いに繋がっています。


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紡ぎ切れない事も…ある。 [八重の狐]

平戸美和のブログは2018の今になって思えば、私自身の想いでもありました。しかしその頃はまだ2012年に起こるとんでもない出来事を知る由もありませんでした。

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2011年7月22日平戸美和のブログ <女には暦がある>その流す涙の分だけ女には特別の『暦』があるのです……。実はこれ、連載中の『平成猫、トラ吉』最終回の出だしの部分です。少し早めにご披露いたします。 私も女、生まれてから今日まで随分涙を流しました。さっきもTVドラマを見て泣きました。しかし、女が一途に恋している時に流す涙は、とってもさらさらと泉のように透明なんですよ。勿論これは私見です。医学的根拠なんかはありませんけど。でも「恋」することは生涯、女の夢ですもの

この年の夏も翌2012の夏も酷暑でした。普段の私は何時も独りぼっち。連れ合いは何とか理由を付けては都内まで通う毎日でした。そんな時、何時も慰めてくれるのは当時16歳になっていた愛猫トラキチ。最後の日(2015.04)まで一緒だったトラ吉。私が自由になる為にと一人旅立ちました。

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2011年7月28日木曜日平戸美和のブログ 『遠い道』だけど    何気なくTVを見たら、ある女流の童謡作家のお話でした。とても言葉に説得力があった方だったようです。私の『歌手』としてまた『作詞家』を志す者として、言葉の大切さは分かっている筈なのに。書く場合も勿論ですが、特に他人とお話しする時、なかなか適切な言葉、そして適切な音量とスピードで話すことは難しいと最近特に思います。 興奮のあまり、言いたいことから単刀直入に言い過ぎて誤解を受けたり、遠慮して言わないでいたら、これまた誤解を生んだりと。本当に人に『言葉』で伝えることは、当たり前なのに難しいと思います。 極めるには『遠い道』だけど、でも素敵な言葉のシャワーで他人を癒せるようになりたいです。


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読むほどに意味不明かも知れませんが、此処までは美和イコール私です。しかしストーリーの中では違った個性の美和と八重狐が泣いたり笑ったり。そんな風に考えています。しかしもう少し考える時間が必要の様です。お付き合い下さいましてありがとうございました。

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