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こだわりの美学 [歌人生]

『拘り』だけが私の人生だったのかもしれません。拘りと言う意味をすこしだけ調べてみたら「頑固」「執着心」や「執念」などが書かれてありました。わたしは子供の頃、母からよく「頑固だから…」と言われましたが、確かに長じて社会人になってからもその性格はますます強くなったと自分でも感じていました。

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私の「拘り」は多方面に亘りますが、其のほとんどは仕事の場合で、私生活はかなりアバウト。料理洗濯や掃除お買い物。子育てだけは経験がないので未知の世界ですが。さてその私、「拘った」からこそ此処までたどり着けたのだと思う反面、拘り過ぎて大切なものを失った気もします。

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しかし芸術の面ではこの「拘り」は大概の場合いい結果を招いてきました。もう遠い日の事ですが、二十歳の頃のお話です。私は生け花の専門学校へ3年間通いました。そこでは生け花だけでは無く色々な芸術に触れる機会がありました。美術館めぐり、スケッチ(これは花を活ける度にスケッチと作品の意図を書きます)、その他茶道(私は裏千家)、礼法、造形デザイン、生け花は実技だけではその成り立ちや時代も学びました。その結果、生け花界の伝統と新しい息吹を同時に体感できたのです。23歳で縁あって川越に嫁いでからもその暮らしは続きました。

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今迄で数えきれないほどの趣味や勉強に没頭した私ですが、その時その時は寝食を忘れて一心不乱。その結果は今でもしっかりと生きていると思います。一方、その結果無頓着になった我が身の処し方。これは拘っていると日々の暮らしが成り立ちません。しかし本筋の所ではこの「拘り」を捨ててはいない筈です。

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突然やって来た夫の死やその結果で突如起こった世間からの逆風。「奥さん…」から「あんた…」この偏見、この変化に最初は耐えられませんでした。しかし無情な歳月が流れる中で、『これは仮の姿だと思おう~』というある意味では建設的な心も生まれました。結果、暮らし易くなりました。しかし「拘り」は依然として私の個性のままです。

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これも母から聞いた話ですが、昭和が二桁になった頃の童謡ですが、『お山の杉の子』という歌がありその一節にこんな文句があります。「今に見て居ろ僕だって…」と。私は幼児の頃から現在に至るまでこの言葉が『座右の銘』になっています。勿論本来は母が私の勉強部屋に貼り付けた「精神一到何事か成らざらん」・「心頭滅却すれば火もまた涼し」など菩提寺のご住職様から頂いた掛軸も大切な心の戻る場所ではありましたが。

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この世に生きるという事は、負けになる事もあるけれどそれが人生の終わりでは無いですね。そこで受けた屈辱や浮世の矛盾、それらを乗り越えてこそ人生を更に意味深いものと思えるのかも知れません。その『どん底人生』、私の場合はある事への「拘り」があればこそ長期に亘る亡者との闘いを乗り越えられたのだと思います。真実とは深海の底にある宝物のようなもの。私にはその真実があるから、その一念、その拘りで運命を切り開きました。勿論幸運が運んでくれた幸せではあります。しかし私の中にある真実への拘りが幸運へ誘ってくれたようにも思えるのです。

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今年の桜は何時になく長く美しく咲いてくれました。しかし天候不良の影響が体調を崩された方も多いようです。私もご多分に漏れず彼方此方の不調を訴えてきました。しかし「これぐらいでは負けはしない!」という元来の拘り、いや執念があったればこそ今こうして寝込みもせずに動いていられるのだと信じてやみません。最後までお付き合い頂きまして有難うございました。



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