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私の人生、推理小説もどき。 [八重の狐]

全てはあの日から始まった…、この文句何処かで聴いた気がしますね。よくTVサスペンスドラマの冒頭に出てきますね。それで私も今回推理小説もどきを書いてみたいのですが、なにも勉強しない私が書ける訳ありません。ですので、案外ミステリアスな私の人生をテーマーにそのもどきを書き進めてゆきたいと思います。

舞台はは平成11年8月25日から始まるのですが、今日はその1ヵ月前の7月1日付け
八重狐こと平戸美和のブログから初めてみたいと思います。

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7月1日のブログ。  はじめまして、やっとブログ開設に漕ぎ着けました。 私のブログは、歌手八重狐として時々の思いや、人間平戸美和としてのつれづれの感慨などを書き綴りたく思っています。どうぞよろしくお願いいたします。今.頑張っていること。この秋のからのTVスポットの準備です。(9月~10月まで。テレビ里山)


ここで主人公平戸美和の事をご説明しますね。美和は父も母も知りません。そのことを知ったのは美和が最初の恋愛をした20歳の夏の事でした。それまでの美和は何不自由ない暮らしを音羽でしていたのです。話を進めますね。

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2011年7月3日のブログ   毎年お盆の19日は、8年前に亡くなった母も欠かさず出席してたお寺の行事があります。祖母や祖父、そして父のお墓のあるお寺で催される『お施餓鬼』と言う行事です。 20名程のご僧侶が一斉に読経を上げる姿は荘厳でかつリズミカルで素晴らしい響きです。 『サンスクリット語』らしい(?)お経もあって、とても軽妙で親しみやすいお経が次々に唱えられ、クライマックスはドラのような鐘を鳴らします。 私は3歳に時分から、もう何十年もお参りして来ましたが付近は昔の面影は全くなく、ビル街の中のお寺です。しかし墓地内は緑にあふれ、手入れも行き届き静かな時間が流れています。今年もきっと、行きますからね待っててね。お母さん。


美和の故郷は東京。毎年7月がお盆になります。2011年の美和は里山テレビの系列里山ミュージックからCDデビューをして2年の歳月が流れていました。2009年の秋から里山TVの歌謡番組へは時折顔を出していました。また自身のプロモーションVTRを約4か月も音楽番組内で流し続けました。あれもこれもメジャーデビューへの道だと聴いていました。それは早朝5時台の番組でした。寝坊の美和は「5時ですか~」と不満顔でしたが、流されると「観て下さる方多かった」と喜んでいました。
しかし少しだけ種明かししますと、このデビューの頃から美和の運命は大きく動いていたのです。その頃、有頂天の美和は知る由もありませんでした。(つづく)
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また一つ 別れを紡ぐ [八重の狐]

この駅でその人を見送ったのはもう何回目? 長年の知人の筈なのに、何時もさよならの時になるとどうしても涙ぐみたくなる私。何故?何故?と自問自答。
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私.『八重の狐』は以前の棲み処を出て、今は人間社会の一員として生きています。化けたのはカラオケ教室の先生です。相変わらず油揚げは大好きですが、鴨肉の燻製や木の葉の代わりに、シャリっとした食感のセロリが好きになりました。長い髪が自慢な私は尻尾の毛をすこし切って頭に付けポニーテールと呼ばれる髪型にしています。
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此処での暮らしは快適ですので、もう昔の洞暮らしには戻りたくありません。実は私、洞に住まう前には東京に暮らしていました。そこは早稲田(はやいねたんんぼ)という場所にある商家でした。そして私は丸の内OLにも、銀座の蝶にもなって青春を楽しんでいました。その家は亡くなり、いまは大きな交差点になってしまいました。
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人間世界の矛盾も心の葛藤も知るにつれ、人間の心が朧げに解って来た私、今日のように別れのあの切なさ、じ~んと来るあの気持ち、「このまま一緒に…」人間の女心って本当に複雑、演じる私もその複雑な心を『恋』と呼ぶことにしました。元々狐の私、人間でいう年齢という考え方が分かりませんから、随分年が違うあの人がどう思うかなんて考えたこともありません。クォ~ン クォ~ン。







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