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昭和遥かに [黄昏に向かって]

秋色の川越、少し歩けば美しい紅葉に出会えるのに、子供のように拗ねた私は、滅多にない平日休暇も家でゴロゴロ。夕方になる頃には疲れ目で両目が少し充血。Netの中で歌に関する記事を読み漁りました。
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歌が大好きな子供は今も昔も沢山います。私も歌が大好きな子供だったのですが、その声はあまりいい方ではありません。日本調の歌が好きだった母は私にも教えて呉れました。例えば神楽坂はん子さんの芸者ワルツとか、市丸さんの三味線ブギウギや詩吟入りの田原坂などを小学生の私に教えて呉れました。
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その頃我が家は一緒に暮らしていた祖父も父も他界し、祖母、母、私、この三人家族でした。33歳の母は家族を養うために昼間は銀座の喫茶店で働き、夜は日本橋の料亭で働きました。留守は祖母と私だけ。子供時分の記憶は着物姿の美しい母の姿。
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私が12歳の時、母は下宿屋さんを開業。1973年に川越に転居するまで、新宿区早稲田で営んでいました。未亡人になった母は3年足らずで早稲田に家を購入したのでした。その家を私の老後のためにと生涯言い続けて2003年、89歳で他界しました。
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気丈で、着物が似合って、気風(きっぷ)が良くて。そうそう家の前にあったお寿司屋さんのご主人から、「ねえさんは小股の切れ上がった好い女だね~」とまるで芝居のセリフのような言葉を始終かけわれていました。その一人娘の私、面ざしには母の片鱗も無く生涯親不孝の日々でした。
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母の年になるまで私が生きられるかどうかは分かりませんが、消えゆく昭和の匂い、どこかに留めたい今の私です。人情に篤かった昭和の人たち。今よりは貧しかったけれど、やっぱりいい時代だったのだと思います。
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