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乗りそびれた列車 [青春の残像]

今日は線路のお話。もっと詳しく言えば線路のそばで男と女が別れたお話です。あれは本当に遠い日の事。東京から川越にお嫁に来たのは23歳の時、今の川越郊外の造成地に作られた団地になります。まるで絵にかいたような郊外の一戸建て。広い庭には紫陽花やあの双葉より芳しと詠われた大きな栴檀もありました。
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結婚式を挙げる少し前にこの街に来た我儘娘が主婦になったのです。しかし12歳という年の差もあり、主婦業は思っていたほどの楽しさもなく、退屈が高じて次第に東京が恋しくなりました。東京の家からは都電に乗ると銀座まではそうかからず行けました。その頃40代の母は私を連れて銀座によく行きました。和装の多い母は草履や帯揚げ足袋を買い、私にはコックドール(月ヶ瀬)でパフエーなどを食べさせてくれました。
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そんな訳で嫁いでは見たもの周囲は見知らぬ人ばかり、しかも経済感覚の薄い私は預かった月給も20日余りしかもたず、あとは毎日同じおかず(いんげんの炒め物や、ごまよごし)が食卓に載るしまつ。私はとうとう癇癪起こし実家に帰る事になりました。
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駅までも道は商店もあまりなく舗装もありません。消防署を曲がるとそこはもう駅のそば。小さなボストンひとつ下げて、上りホームに出た私。程なくして上りが来ました。その時私は見たのです。線路の柵の向こうで夫が何かを叫びながら手を振っている姿を。ちょっと可哀そう~と思った私。僅かなシーンなのですが、不思議に印象深い青春の一コマ。
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そしてその後は可もなく不可もない人生が20年以上過ぎ、私と母は東京を去り川越に移転していました。私はそこから都内まで仕事に通っていました。6月のある日、鶴瀬という駅で降りた私、その日開かれる講演会に行くためです。会合も終わり出口へ向かう人波にもまれていた私の携帯に、メールが入りました。「出口で待つ」ただそれだけの。急いで出口に行くとタクシーに乗り込むメールの主が目に入りました。私も急いで乗り込みます。一瞬周囲のざわめきが聞こえました。
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私ちょっと優越感を感じました。つまりそこに集まった大勢の羨望の的になった訳です。10分程して車を降り、駅前の居酒屋さんに入った私たち。その方と向き合って座ったの初めての私は、すこしドギマギして意味不明の話をしたように覚えています。小一時間の後、私たちは駅の階段を上りフォームに立ちます。私は下り電車、その方は上り。暫くして下りがきたのですが、私は乗りませんでした。それを無視する二人。やや暫くして今度は上りが来ました。「じゃ、乗るよ」と私に告げて、上り電車に乗った人。
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だだこれだけの事、ただそれだけの話。駅のぼんやりした灯りと、少しぶっきらぼうなでも答えを待つような、あのイントネーション。今となっては私の妄想かも知れません…。でも私、本当は後を追てあの列車に飛び乗りたかった!              
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