町暮らし [黄昏に向かって]
今年もとうとう秋のお彼岸が来ました。春秋年2回のお彼岸、かつては親族の絆を深める場でもありました。
私も祖母に連れられて都電に乗り、池袋のお寺詣りをするのが楽しみでした。境内にはテントが張られ茶菓子もふるまわれます。子供達には風船がお土産に。と言っても膨らませていない風船が数個、袋に入れられたものです。家に帰ると祖母が一杯に息を吹き込んで膨らませて呉れました。懐かしい昔々のお話。
私も来年はその祖母が亡くなった年齢になります。何だか不思議な気がします。時代は違っても生きてきた年数は同じです。しかし今の私は祖母のように孫達から頼られ慕われる存在ではありません。家族が少なく寂しい子供時代でしたので、結婚したら子供が沢山欲しい等と、二十歳(はたち)ぐらいまでは思っていましたが、どうした事か生涯恵まれずに今日まで生きて来ました。
守る者も居ない気楽さから、この歳になってもまだ夢ばかり見て暮らしています。今の夢は取り敢えず80歳までは元気で生きていたい、そしてその時も何らかの仕事に携わっていたい。此処の暮らしを何日か過ごしている内に少し人生観が変わりました。今までは祖母、母、私という女系の暮らしを守り抜く、そんな雁字搦めのような生き方を無理に守っていました。力もないのにそんな暮らしを目指してきました。
天涯孤独を覚悟してここに移転したのですが、それは嬉しい誤算でした。考えて見れは此処での暮らしは謂わば町暮らしそのもの。数日前まで30年暮らした家は住宅街にあったのに比べここは商店街です。10歩か15歩歩けば、一日中人波が続いている町中です。私の育った場所も早稲田にある大学通りという商店街でした。トウフやさんも酒屋さんもお肉屋さん、魚屋さんも家から数分のところにありました。家の前はお寿司屋さんに理髪店。
こうして不安な心は何処かへ消えてしまいました。しかし油断大敵、ここには観たい場所も、食べたいもの・着たいもの、宝石・楽器・呉服やさんも…。そこで私、街を歩くときは成る丈早足で、目的地まで脇目も振らずに一目散に歩く事にしました。幾つになっても女性は買い物が大好きですからね。それでは今日はこのくらいで、お休みなさい。(写真はどれも引っ越し前、5~6月頃のものです)。
私も祖母に連れられて都電に乗り、池袋のお寺詣りをするのが楽しみでした。境内にはテントが張られ茶菓子もふるまわれます。子供達には風船がお土産に。と言っても膨らませていない風船が数個、袋に入れられたものです。家に帰ると祖母が一杯に息を吹き込んで膨らませて呉れました。懐かしい昔々のお話。
私も来年はその祖母が亡くなった年齢になります。何だか不思議な気がします。時代は違っても生きてきた年数は同じです。しかし今の私は祖母のように孫達から頼られ慕われる存在ではありません。家族が少なく寂しい子供時代でしたので、結婚したら子供が沢山欲しい等と、二十歳(はたち)ぐらいまでは思っていましたが、どうした事か生涯恵まれずに今日まで生きて来ました。
守る者も居ない気楽さから、この歳になってもまだ夢ばかり見て暮らしています。今の夢は取り敢えず80歳までは元気で生きていたい、そしてその時も何らかの仕事に携わっていたい。此処の暮らしを何日か過ごしている内に少し人生観が変わりました。今までは祖母、母、私という女系の暮らしを守り抜く、そんな雁字搦めのような生き方を無理に守っていました。力もないのにそんな暮らしを目指してきました。
天涯孤独を覚悟してここに移転したのですが、それは嬉しい誤算でした。考えて見れは此処での暮らしは謂わば町暮らしそのもの。数日前まで30年暮らした家は住宅街にあったのに比べここは商店街です。10歩か15歩歩けば、一日中人波が続いている町中です。私の育った場所も早稲田にある大学通りという商店街でした。トウフやさんも酒屋さんもお肉屋さん、魚屋さんも家から数分のところにありました。家の前はお寿司屋さんに理髪店。
こうして不安な心は何処かへ消えてしまいました。しかし油断大敵、ここには観たい場所も、食べたいもの・着たいもの、宝石・楽器・呉服やさんも…。そこで私、街を歩くときは成る丈早足で、目的地まで脇目も振らずに一目散に歩く事にしました。幾つになっても女性は買い物が大好きですからね。それでは今日はこのくらいで、お休みなさい。(写真はどれも引っ越し前、5~6月頃のものです)。
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