黄泉の国からこんにちは [青春の残像]
紛失したはずの写真が出てきた。多分夫が締って置いて呉れただろうけれど。でも直ぐ目の前にあったのにどうしてこんなに長い間気付かなかったのかしら?見付かったのは母と愛犬の写真。1994年の私もいます。
少し恥ずかしいけれど公開しますね。
あの時代私達は夫と母の住むこの川越に戻っていました。私は市内の工務店に。夫は川崎の建築会社へ勤めていました。しかし母の発病と入院、気持ちが動揺した私を夫が本当に良くフォローしてくれました。その後20年間、その甲斐甲斐しさと優しさのまま、夫は他界してしまいました。
その20年前には大きな転機がきます。私がそれまでの不動産業への勤め人から、建築業の営業に変わったのです。しかも輸入住宅の営業マンでした。1998年頃には北米からカナダへの研修旅行にも行き、新しい仕事に興奮していた私がいました。
母の病気は1995年を境に進行して、自力では歩けない、記憶が出来ない、家族を認識できない。そんな母でしたが、生後55日ぐらいから育てたミックス犬マリ号の事は、病状が相当進んでもはっきり覚えていて、毎日曜日に見舞いに行く我々を待っていました。その行為は最後の入院の寸前まで続きました。
ここ暫く、観なかった写真が戻ってきて何だか時が一足飛びに戻ってしまい、私の中にあの麗しい日々が甦ります。今日はその中から私とマリ号の写真をご覧ください。
少し恥ずかしいけれど公開しますね。
あの時代私達は夫と母の住むこの川越に戻っていました。私は市内の工務店に。夫は川崎の建築会社へ勤めていました。しかし母の発病と入院、気持ちが動揺した私を夫が本当に良くフォローしてくれました。その後20年間、その甲斐甲斐しさと優しさのまま、夫は他界してしまいました。
その20年前には大きな転機がきます。私がそれまでの不動産業への勤め人から、建築業の営業に変わったのです。しかも輸入住宅の営業マンでした。1998年頃には北米からカナダへの研修旅行にも行き、新しい仕事に興奮していた私がいました。
母の病気は1995年を境に進行して、自力では歩けない、記憶が出来ない、家族を認識できない。そんな母でしたが、生後55日ぐらいから育てたミックス犬マリ号の事は、病状が相当進んでもはっきり覚えていて、毎日曜日に見舞いに行く我々を待っていました。その行為は最後の入院の寸前まで続きました。
ここ暫く、観なかった写真が戻ってきて何だか時が一足飛びに戻ってしまい、私の中にあの麗しい日々が甦ります。今日はその中から私とマリ号の写真をご覧ください。
タグ:麗しい日々 北米 カナダ 研修旅行
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