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さとりちゃんの話 [黄昏に向かって]

もう6年も前になります。facebookの投稿した名も知らぬ鳥の写真、これを見たKさんから頂いたコメントには『この鳥は“さとり”といいます。』とありました。えっ“さとり?”私は一瞬そう思いましたが、もう一度読み直してみると、それはきっと『悟り』の事だと知りました。
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あれから大勢の方の励ましと叱咤激励を頂きながら今に至っています。思えば遠い道でした。連れ合いの突然の死は、この世に地獄があるのなら、目の前にある光景が地獄なのかも知れないと思った程でした。当時の私はその3年前の2009年9月のCDデビュー以来、歌手として更なる飛躍を目指し一目散に駆け上ろうとしていた時期でした。
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独り暮らしはすべての希望を失わせ、半年も待たずして、家中の電気、ガス、水道迄止まってしまいました。貸していたアパート収入も一人去り二人去りと。もう「生きられない!」と思いました。親しかった友人数名にお別れの手紙や電話をしました。最寄駅のホームの最先端から近づいてくる列車をじっと眺めました。かろうじてその気持ちを食い止めたのは家に待っている当時15歳になったトラ吉の存在でした。夫が可愛がっていた茶トラ猫はショックから病気がちになっていました。
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さて、その後の生還までの詳細は今は未だ綴れませんが、当時の私には世間は本当に冷く思えました。孤独死や餓死という言葉ばかりが目に付いていました。そんな私をきめ細かく助けて下さったのは猫友のHNさんとご主人と長年お店経営をしているAKさんでした。お二人の協力がなかったら、当初の危機は乗り越えられなかったと今でも思っています。そして先の見えない満願の日を、私は待ち続けていました(※ここで言う『満願』とは私を襲う魑魅魍魎たちが消滅する日の事です)。
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運命とは何がきっかけで好転する計り知れません。2012年から2年後の2014年2月、大雪の日でした。右足の大やけどが治らない私は雪道を歩く為に『赤い革靴』に足を入れました。かなりの激痛です。しかし大切な外出ですから、何が何でも目的地に辿り着きたいと思いました。すでに愛車もなく、タクシーを利用する余裕もない私、徒歩と電車で目的地へ向かう事にして、トラ吉を残し家を出ました。
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白い雪に赤い靴、家の前の電線には沢山の冬鳥たちが止まって囀っていました。この光景に何となく心が軽くなった私、最寄り駅までは普段の倍ぐらいは掛りましたが、痛みも忘れて歩いたように覚えています。そして上り電車で2つ目、目的の駅に降り立ちました。駅から7.8分の目的地が近づいたとき、その時まさに運命の女神が微笑んだのです。
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その後の私、仕事も軌道に乗り、平穏な日々を送っています。しかし残念な事にあの経験が生かされないのか、未だに迷いが多く様々な煩悩に苛まれています。その時いつも思い出すのが、冒頭で紹介した『さとりちゃん』の事です。何処にいるのだろう~さとりちゃん。家の近くでも時々“さとりちゃん”に似たヒヨドリを見かけますが、私の探す『さとりちゃん』ではないようです。まだまだ人生修行が足らない私です。



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