限りあるから愛しい…。 [黄昏に向かって]
生きる時間には限りがあるらしい。でもその限界を決めるのは誰? 数年前に何回か人生を諦めかけました。その頃の展開では生きられる目は殆どない状態でした。まさに孤独死寸前。しかし元来は楽天家の素地が時々出てきて、気が付けば3年たっていた。
その後は不思議なくらいに人生が好転して希望に溢れた日々が続きました。しかしあぁ人生ってなんという事なのでしょうか、この分ならまだ生きられる、そう思った矢先、怪我をして歯を折るやら胸を打撲するやらと。きのうは縁側から庭に落ちて足をひねってしまいました。
こんな思い、多分私だけではないと思います。しかし分かっていても人は他人の苦しみにはとても鈍感です。いいえ他人どころか肉親の辛さだって理解できない事があります。私もまさにそうでした。一人娘なのに母は特別養護ホームで最後を迎えました。
毎日手を合わせる母の位牌と遺影、いくら詫びてもし尽せません。こんなに人生の黄昏が短いなんてあの時分かっていたらと…、いまさらながら悔やまれます。
老後を健康で豊かに暮らしたい、ただひたすらそれを目的で生きてきました。しかし気が付けは『老後』入口すら気が付かなかった自分がいました。後戻りができないこの道は歩む事しか出来ません。しかし刹那の幸せだけが生き甲斐と私はどうしても思えません。何かを極めたい、何かを遺したい。人間欲があるうちはまだ見込みがあるらしいですね。そんな訳で諦めるのはもう少し先に延ばすことにしました。
その後は不思議なくらいに人生が好転して希望に溢れた日々が続きました。しかしあぁ人生ってなんという事なのでしょうか、この分ならまだ生きられる、そう思った矢先、怪我をして歯を折るやら胸を打撲するやらと。きのうは縁側から庭に落ちて足をひねってしまいました。
こんな思い、多分私だけではないと思います。しかし分かっていても人は他人の苦しみにはとても鈍感です。いいえ他人どころか肉親の辛さだって理解できない事があります。私もまさにそうでした。一人娘なのに母は特別養護ホームで最後を迎えました。
毎日手を合わせる母の位牌と遺影、いくら詫びてもし尽せません。こんなに人生の黄昏が短いなんてあの時分かっていたらと…、いまさらながら悔やまれます。
老後を健康で豊かに暮らしたい、ただひたすらそれを目的で生きてきました。しかし気が付けは『老後』入口すら気が付かなかった自分がいました。後戻りができないこの道は歩む事しか出来ません。しかし刹那の幸せだけが生き甲斐と私はどうしても思えません。何かを極めたい、何かを遺したい。人間欲があるうちはまだ見込みがあるらしいですね。そんな訳で諦めるのはもう少し先に延ばすことにしました。
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