八重狐、その謂れ [青春の残像]
氷上の演技を見ていると、なんと人の体は美しいのかと思います。同じ女性に生まれてもこんなに美しく生まれられる人は、やっぱり心も美しいのでしょうね。
さて先日『八重狐』って決めたのですが、あれから思い直して『八重の狐』にしました。そう言えば一昨日もお稲荷さんを食べました。急に食べたくなったのです。でも油揚げは元もと好きなのです。フライパンで焼いて、晒したネギを載せお醤油をちょっと。本当に美味しいですね。昔は祖母も生揚げやがんもどきをよく煮て呉れました。
さてその狐への想いは実は母にあります。東京から引っ越してきた家は目の前が公園でした。その公園にある樹齢50年ぐらいの大きな八重桜。『きっと桜の精が棲んでいるのね」と母がいいます。「やだ~怖いわ、お母さん!」と私。「あら怖いの、素敵じゃない、あたしそう思うわよ」他愛ない母娘の話です。
時は過ぎて幼子のようになった母は静かにこの世から去って終いました。その時私は59歳、もう立派な大人です。夫もいました。けれど身を裂かれるような想いは今でも変わりません。母が命を懸けて私を守り育てたように、それ以上に私は母を愛しまなくてはいけなかったのに…。後悔の念は一生拭えません。
それ以来、母は私の守護神であり師匠であり閻魔様でもあります。この世に残していて来た不甲斐ない娘を母はどんな思いで眺めているのでしょうか?
以前の家を去る時、気のせいかあの八重桜が傾いていたのです。大きな洞があり野鳥たちがその羽根を休めたり、虫を啄んだりと。私はあの3年間、この樹の傍で暮らしていました。夜は目の前にある家に戻りますが、日長一日、この樹の傍で猫や鳥や蝶や花達と遊んで暮らしました。
そして母に語り掛けます。この洞にいるのはお母さん? 引っ越しの日、夜逃げではないのに家具の殆ど、衣類もコートも冷蔵庫も、電子レンジも大きな机もすべて。大切な100枚入りのMiyakoのポスターまでも置き去りに。
其の後家は壊され今は立派な家が新築されたと聞いています。行ってみたい!でもいつも思うだけでやめます。そんな訳で川越に来た昭和50年から馴染んだあの八重桜、母の姿を重ねます。その洞には母によく似た美人の狐がすむそうな…。これが『八重の狐』謂れです。
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